立体になったのは良かったが、まだ玩具に見える。「実物そのものと見紛うくらいでないと、売り物にはならない」。そう突きつけられて、私はしばらく描画の設定をいじり続けた。光の当て方、影の濃さ、映り込み。数字を細かく詰めれば詰めるほど本物に近づくはずだと、そう思い込んでいた。だが、いくら詰めても、玩具は玩具のままだった。
本物らしさは、どこから来るのか
行き詰まって、ようやく思い違いに気づいた。本物らしさを決めているのは、描画の技術ではない。画面に置く3Dモデルそのものと、その表面に貼る質感の作り込みだ。素材が粗ければ、どんなに描画を磨いても粗いままで、素材が上等なら、ありふれた描画でも見違える。試しに、丁寧に作り込まれた見本の立体を一つ読み込んで並べてみると、同じ画面とは思えないほど本物らしかった。差は、道具ではなく素材にあった。
写実の、一歩手前で止める
では実物を寸分違わずなぞればいいのか。ここで、もう一つの気づきがあった。実物を忠実にトレースするより、少しだけ理想化した上質な質感の方が、かえって魅力的に見えるのだ。生々しさは、時に不気味さの側へ倒れる。誰かの実在するデザインをなぞれば、権利の問題もついて回る。写実の一歩手前で止め、上質さだけを残す。この線引きは、見た目のためだけでなく、権利とコストの両面でも身軽さを連れてきた。狙うべきは実写ではなく、理想化された上質さだと決めた。
同じ模型に、複数の顔を
上質な素材を一つ用意すれば、そこから先は広がる。同じモデルに、表面の質感だけを差し替えられるようにした。塗りたてのように綺麗な仕上げ、使い込んだ風合いの仕上げ、絵のようなイラスト調の仕上げ。一つのモデルが、貼り替えるだけで何通りにも化ける。組む人が自分の好みで選べるし、コレクションや壁紙にも変化が生まれる。将来、特別な仕上げを有料にする余地も、ここに残せた。作るのは一つ、見せ方は幾通りにも。難易度のときと同じ発想が、質感でも効いた。
本丸は、素材づくりだと見えた
この段階で、製品の本丸がどこにあるかがはっきりした。描画の工夫ではなく、上質な素材を用意し続けられるかどうか。ここに、いちばんの手間と価値が宿る。裏を返せば、素材さえ揃えば、特別な環境でなくても本物級を見せられるということでもある。回り道の末に掴んだのは、力を注ぐべき一点の在り処だった。
素材が決め手だと分かったところで、もう一つの野心が頭をもたげた。素材を、こちらが用意するだけでなく、使う人自身の手元から生み出せないか。次の回は、この試作でいちばん賭けている構想を書く。