サイトが動きはじめてから、編集部の仕事を軽くするために、AIをいくつか組み込んだ。数えると、八つになった。派手な一つの機能ではなく、日々の作業のあちこちに、小さく差し込んでいった。
広告のコピーを何案か出す。チラシや名刺の写真から、文字を読み取って入力欄を埋める。記事のカテゴリを判定する。記事の見出しや要約、校正を手伝う。投稿された広告が景品表示や薬機のルールに触れないか、語句の単位で点検する。読者向けに記事を短くまとめ、やさしい日本語に直す。そして、公開済みの記事を根拠に、地域のことを尋ねられる検索。
賢いAIと、速いAIを使い分けた
八つを作るなかで、まず決めたのは、AIをひと種類で済ませない、ということだった。
文章を生成したり、法令を点検したり、対話で答えたりする、頭を使う仕事には、賢いモデルを充てる。カテゴリの判定やタグ付けのような、速さと安さが効く仕事には、軽いモデルを充てる。全部を賢いモデルにやらせると、遅くて高い。全部を軽いモデルにすると、肝心なところで浅い。
仕事の重さに、モデルの重さを合わせる。同じ「AIに任せる」でも、どのAIに任せるかを、一つずつ選んだ。
答えを、決まった形で受け取る
AIの出力を、そのまま画面に流し込むことはしなかった。
たとえば写真から情報を読み取るとき、AIには「この項目と、この項目を、この形で返して」と決めた枠を渡す。返ってきたものが枠に収まっているかを検査してから、入力欄に入れる。自由な文章のままでは、機械は安心して扱えない。決まった形で受け取るからこそ、その先の処理に乗せられる。
賢さに任せきりにせず、受け取り口を固める。AIの手前ではなく、AIの後ろに、しっかりした関所を置く感覚だった。
外したときに、みっともなくしない
いちばん手を入れたのは、うまくいかなかったときの振る舞いだった。
写真から情報を読み取る機能で、読めない画像を渡されることがある。暗すぎる、壊れている、対応していない形式。そのとき、AIの裏側が吐く英語のエラーが、そのまま画面に出ていた。読み取れなかったうえに、意味の分からない文字列まで見せる。これは、いちばん見せたくない姿だ。
そこで、読み取れないときは「明るく鮮明な写真で撮り直してください」、対応しない形式なら「この形式には対応していません」と、丁寧な日本語で返すように直した。失敗そのものは避けられない。避けられるのは、失敗を無様に見せることだ。
AIは、道具として渡す
八つのAIを通して、考え方が定まった。AIは、賢さを見せびらかすものではなく、道具として静かに渡すものだ。
編集部の人は、AIを使っている意識すら、あまり持たなくていい。ボタンを押したら草案が出る。写真を上げたら欄が埋まる。おかしなものは手前で止まる。裏で何が動いているかを知らなくても、仕事がはかどる。それが、道具としての正しい姿だと思う。
賢いことより、外さないこと。速いことより、みっともなくないこと。八つを作りながら、いちばん時間をかけたのは、その地味なところだった。地域の媒体が長く使う道具だから、賢さで驚かせるより、毎日きちんと働くほうを選んだ。